週刊・将棋速報(2023年11月6日号)

「敗軍の将」渡辺明の心境

『将棋世界』誌12月号に、渡辺明九段が、竜王戦 第1局の観戦記を執筆している。(註1)

渡辺は、昔から大盤解説は一流だったので、当然、観戦記も上手いに違いない、と思っていた。

観戦記は時間と労力が要る。

大盤解説のように即興の気軽なお喋りと言う訳には行かないので、なかなか執筆の機会がなかったのだろう。

今年、無冠となったのが、幸いしたか、依頼を引き受けたに違いない。

本人は不本意かもしれないが、我々ファンにとっては、朗報である。

同誌9月号の王位戦 第1局の観戦記も、流石の内容だったが、今回は、ちょっと衝撃的だった。

観戦記史上、長く記憶に残る文章となった、に違いない。

どこが衝撃的だったか、と言うと。

全13ページのうち10ページは指し手の解説なのだが、最後の2ページは、渡辺自身の最近の心境を綴っているのだ。

この2ページが、将棋ファン歴45年の私にとって、過去にない興味を惹いた。

タイトルを一度も手にしたことのない棋士が9割である。

渡辺は並みの棋士とは違う、後世に語り継がれる棋士の一人である。

渡辺は、19年間、タイトルを必ず一つは保持し、3年前は四冠目前で、名実ともに棋界ナンバーワンだった。

タイトル獲得期数は31期で、谷川浩司九段を抜いて歴代4位だった。(註2)

永世竜王と永世棋王の称号も持つ。

堂々の歴代トップ棋士の一人である。

しかし、数年前に藤井聡太君が登場し、次々と彼にタイトルを奪われ、今年5月末、とうとう無冠に転落した。

当然ながら、失意の底にいる。

傷つき、自信を失っているのだろうな、と、誰もが想像する。

だが、この様なトップ棋士が、本人の口から、赤裸々にその心境を語ったのを、過去一度も、目にしたことがない。

弱音、言い訳、みっともない、男らしくない、勝負師として失格、などなど・・・

批判が、脳裏を掠めるからだろう。

ところが、渡辺明は、その心境を約2ページに亘り綴っているのだ。

それも、錯綜する心境を正直に吐露しているのだ。

渡辺らしい、子供っぽく、純粋で、素直な内容である。

渡辺の人柄がよく表れており、実に好感が持てる。

これは、将棋史上記憶に留めるべき文章だろうと思う。

昭和時代なら、棋士は、絶対、こんな心境を白状しない。

白状したとしても、ほんの一欠(ひとか)けらだ。

観る将歴45年の私が証言する。

トップ棋士のこんな心境の吐露は、滅多にお目にかかれるものではない。

但し、皆が皆、真似すると、ちょっと、閉口するかも(笑)

偶に食べる味噌ラーメンだからこそ感激するのだ。毎日では食傷気味になる。

【追記】

初めて、敗者の心境を綴ったことがあるのは、橋本崇載五段(当時)が平成17年(2005年)の『週刊将棋』に掲載した。(註3)

棋士が、こんなに正直に語ったのは初めてで、随分と話題となり、その年度の将棋ペンクラブ大賞を受賞したくらいである。

今回の渡辺の観戦記は、トップ棋士だけに、衝撃的だ。

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【「敗軍の将」渡辺明の嘆きを抜粋】

「ああ自分の時代は終わって新しい人たちの時代になって行くんだな」と、改めてしみじみ思う

自分のピークが過ぎて・・・その悔しさや空しさをごまかすために、将棋一途ではない方向に流されて、それがまた新たな苦悩を生む。

将棋以外で楽しいことはいっぱいあるし、自分の場合は特に若い頃からいろんなことに興味があって楽しんでやってきている。

励ましを通り越して「一生、死ぬまで打ち込め」って言う人もいるかもしれないけれど・・・

いまさら、やったところで満足のいく結果が出るとも思えない。

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【註解】

註1.『将棋世界』誌12月号の渡辺明九段の観戦記

『将棋世界』誌、2023年(令和5年)12月号に、渡辺明九段が、第36期 竜王戦七番勝負 第1局の観戦記を執筆している。P.42~54。

同誌の9月号にも、第64期王位戦七番勝負第1局の観戦記を受け持って、今回で2度目の観戦記だ。

註2.タイトル獲得期数は・・・歴代4位(令和5年11月13日現在)

1位 羽生善治九段(永世七冠) 99期
2位 大山康晴十五世名人(故人) 80期
3位 中原誠永世十段(引退) 64期
4位 渡辺明九段(永世竜王) 31期
5位 谷川浩司九段(十七世名人) 27期
6位 米長邦雄永世棋聖(故人) 19期
同6位 藤井聡太竜王・名人〔八冠〕 19期
7位 佐藤康光九段(永世棋聖) 13期
8位 森内俊之九段(十八世名人) 12期
9位 加藤一二三九段(引退) 8期
同9位 木村義雄十四世名人 8期

註3.橋本崇載五段(当時)の自戦記

橋本崇載五段(当時)が、『週刊将棋』平成17年(2005年)10月19日・26日号に掲載した自戦記。

アマチュアに平手で敗れ自信喪失した橋本が、行きつけのスナックのママに勇気づけられるまでの心境を赤裸々正直に語った。